2011年11月22日火曜日

手術の痕跡を見ながら一般病室へ

11月22日火曜朝。気がついたら、一般病棟に移されていた。
家内と3人の娘たちだけでなく、田舎から両親が見舞いに来てくれていた。

とにかく、まだ生きている。手術は成功したらしい。手術ができたということが、すでにかなり大丈夫な領域である証左とも聞いた。だめなら手術そのものを断られるということ。

自分の体を見直してみて、不自由な状態に驚く。まず目につくのは、首の下から肋骨の下、みぞおちの辺りまでの一直線の傷跡。開胸手術をしましたというのが一目でわかる。傷跡の上にはテープが1cm間隔で張ってある。ほかに大きな傷跡は、左側の鎖骨のすこしひだりから胸の上、片口にかけての10cm足らずの傷跡。こちらは左手の脈がなかったので、再度、開胸を行った時の痕跡。肋骨のしたの辺りの腹からは、3本の大きな管が出ている。肺の中にたまる水を出すためらしい。腕と足の付け根からも何か出ている。息をするのにも鼻に管が通っている。点滴の管がしおらしいくらい。とにかく大手術をした後という気配は見るだけで十分にわかる。
両手がグローブのように腫れている。これも手術の影響らしい。

病室で、かわるがわる覗き込む顔にこたえていても、頭はぼうっとしている。長女はこの日まで、ずうっと泣き通しだった様子。私が、死ぬかもと思っていたらしい。ネットで調べるのはお手のものなので、何か一つ情報があると、すぐにその関連の情報を調べて、どうなるのかと思案を巡らす、その繰り返しで疲れていたのもあると思う。

主治医が軽く手術の説明をしてくれる。
左手の再手術についても説明を受ける。左手を見ていると自分の意思とは関係なくぴくぴくとひきつっている。脈が一度無くなって血が通わなくなった痕跡らしい。ただ、その後すぐに気がついて、手術室にいる間に再度開胸を行い、バイパスして血流の回復を確認してくれたので、このあと後遺症もなく回復できた。執刀医の先生の技術力の賜物を思う。感謝。
ちなみに昨日の朝、つまり発作の起こった朝には煙草を吸う前に痛みが来て、そのまま救急車、手術と進行したので、朝は、すでに煙草を吸っていない。その前日の夜に吸って以来ということになる。さすがに今回ばかりは辞めざるを得ない。

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