弟のことが少し頭をよぎっていた。
入院したときには知らなかったが、あとから母親に聞くと、一度心臓発作で救急車で運ばれたらしい。心筋梗塞だったように思うが、ニトロの舌下錠の世話になっているらしい。兄弟だからきっと同じ系統の病気に違いない、そんな先入観もあったと思う。
救急隊員の人に、弟と、それから父親の話もした記憶がある。
それらの情報を頼りに、救急隊員は、無線で連絡を取りながら、心臓関係の救急医を探してくれたのだと思う。しばらく本部と話をしていて、多摩南部地域病院に搬送が決まった。そんな名前を家内に話していたらしいが、私は痛みに悶えていたので記憶が定かではない。
それでも救急車が動き出した時にはわかった。
どういう道順を通ったのかさっぱり記憶にない。救急車の中でももだえ苦しんでいたと思う。
とにかく、小一時間ほどで、多摩南部地域病院の救急外来に到着した。そこから、しばらくの間、いろいろ問診と検査をやったのだと思う。問診は、「痛い」という以外には有効な情報はなかったかも知れない。
家内の話だと、ここで、心筋梗塞を疑って一度、動脈中にステントを通す手術を行うという結論が出ていたらしい。家内は、言われるままに書類にサインをして、あとは手術を待つという時に、別のお医者さんが、やはり気になるから、念のため、CTを取ろう、ということになり、それからさらにCT検査をすることになった。このあたりは、当人は、半分意識も朦朧としていて、何が起こっているのかよく理解できていなかった。
とにかく、CT検査を行ったらしい。CTの間もこちらは当然痛いので、動き回る。「動かないで」と何度も言われて、必死で、周りにあった棒をつかんでいた記憶がある。ちゃんと止まっていられたかどうかはなはだ疑問だが、最低限の検査と診察に耐える画像は取れたのだと思う。
それでも、このCT検査は重要だった。どの先生かもわからないが、CT検査をやろうと言ってくださった先生のおかげで、今、このブログを書くことができている。この時に当初の計画どおり、ステントを通す手術を行っていたら、私の大動脈は見事に粉砕されていたに違いない。わかりやすく言うと、その日のうちに、それも数時間のうちに、あの世に行っているということを意味している。
ただ、不思議に死ぬという予感はなかったように思う。もっとも死んだことはないので、本当に死んでしまう時にどんな感触なのか知りようもないが。賽の河原を通って、三途の川を渡ろうとした記憶もないし、閻魔大王さまの顔も見なかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿