2011年12月2日金曜日

長女は皆勤賞

12月2日
このころから既に入院生活には退屈。
夜になって長女が来てくれる。会社帰りだが、榊原記念病院よりも、家に近い分だけ、見舞いに来る時間は遅くなった。それにしても、長女は、一日も欠かさずに見舞いに来てくれている。仕事は大丈夫なのかしら。

このころは、もう退屈しているので、話しているだけで、気がまぎれる。
痛みは毎日あるので痛み止めが切れるとじっとしていてもつらいが、薬が効いている間は本当に退屈。
娘がテレビ付きのDVDプレーヤーを持ってきてくれた。しばらくこれで時間がつぶせる。
娘は9時頃までいて帰宅。

深夜に痛み止めをもらう。毎回きつい。

長女は発病直後から、WEBで状況を確認してくれていた。大動脈解離という病気そのものの理解が、家族の誰にもなかったので、いち早くそれを調べて家族に共有してくれたことになる。
今から見ても、急性解離(上行~弓部)に対する緊急手術の成績は必ずしもよくない。大動脈壁は”割れていて”菲薄化しているために縫合部の針穴からの出血すらなかなか止まらない状態、手術においては止血操作にしばしばかなりの時間を要し,手術侵襲が高くなる傾向、手術死亡率は10~20%に登る。しかし,この病態では手術をしない場合にはほぼ確実に死亡してしまう。
こんな記述を読みながら、それを理解して、不要な心配をかけまいと最低限のことだけを家族に説明してくれていたのだと思う。後から聞くと、手術の当日と翌日までは、長女は大泣きしていたらしい。パパが死んじゃう、と、本気で心配してくれていた様子。
こちらは、死ぬつもりはまだなかったけれどね。

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